2.宗教2世が直面すること

2.宗教2世が直面すること

宗教のために、一般的な行事(誕生日を祝う・クリスマス・七夕・こいのぼり・父の日や母の日など)や神以外のものを崇めることや、争いを連想させること(国歌斉唱・国旗敬礼・校歌斉唱・校旗敬礼・校旗を先頭とした運動会の入場行進・騎馬戦など)その他諸々が禁止されており、小学校でその類のイベントがあるたびに「神が喜ばないので、わたしは〇〇ができません」と教師に言わなければいけない(証言と呼ばれていた)という、小学生のこどもにはとても苦しいことをさせられていた。
紙で兜をつくることや、母の日の花を折り紙でつくること、大きなこいのぼりの鱗を銀紙で切って貼ること、こういった授業には参加できなかった。
小学校の入学式で校歌斉唱のため起立しているクラスメイトから見下ろされながら心臓をバクバクさせながら座っていたこと。行事の授業で皆が別教室に移動しても、ひとりポツンと泣きながら教室に残っていたこと。運動会の練習も本番も参加できず校庭の隅で座っていたこと。ほかのこどもたちや親たちの目が刺さって痛かった。
親が見ていないのだからフリをすればよかったのに、と言う方も多いと思う。が、仲間の信者のこども経由であったり、母が教師に確認したりなどで必ずバレるし、そのあとに怒られることの方がよっぽど恐怖だった。
「クラスの和を乱す面倒でこどもらしくないキモイ奴」として教師からは疎まれ、クラスメイトからは「いつも一人だけ違うことをしている変な奴」という好奇の目で見られる。母親からは「そのように異端と扱われることを誇りに思いなさい!」とのことで話にならない。
年に何度も発生する”できませんイベント“のために、クラスの中では普段からイヤな目立ち方をしており、少し何かするだけでもちょっかいを出されてしまうので、いかに目立たず自分の存在を消しながら今日をやり過ごすか、がこどものわたしにはとてもだいじなことだった。
こそこそと目立たないように過ごし、「今日よ早く終われ」と毎日唱えた。

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