人魚のはなし-その1:アンデルセンの人魚姫
わたしはこどもの頃から人魚が好きだ。
人間の上半身に、美しく生臭いヌメヌメとなめらかな尾びれがついている。哺乳類。愛や寂しさを知っていて、でもきっと体温はとても低い。人魚たちの美しい歌声は、聞く男たちを魅了しすぎて殺してしまう。寿命がとても長く、その肉を食べれば不老不死になれると言われる。美しくてミステリアスで、いけない香りのする想像上の生き物。
人魚を好きになったきっかけは、やはり本だった。好きな話がふたつある。今回は、その1。
アンデルセン童話の「人魚姫」は救われないヒロイントップである。
尾びれを失い(もう二度と海には戻れないということ)、声を失い(王子さまにも、それ以外の誰にも事情を説明することは不可)、その代わりに手に入れたのは人間の足(歩くたびにナイフの刃の上を進むように痛い)と、何より王子さまの近くにいられる(王子さまの婚約者もセット)ということ。
勘の悪い美しい王子さまを愛し続けた人魚姫は、自分の想いを伝えることも王子さまを殺めることもできず、自分が消えることを選ぶ。
せっかく美しい海の中で、大勢の家族の中で幸せに暮らしていたのに。「人間になりたい」ということは願ってはならないことだったのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー余談ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは、わたしが以前から思っていることなのだけれど、猫は「空を飛んでみたい!」と思わないし、鳥は猫に対して「あなたは羽根がなくてかわいそうね!」と思ったりしない。
陸の世界に生きる物、水の世界に生きる物、極寒の世界に生きる物、それぞれその場所が一番合っているからそこで生きている。
人間だけが「空を飛びたい!」「空を越えて宇宙に行きたい!」「水中深くにも行きたい!」「地底も行きたい!」さらには「地球以外でも生存してみたい!」と願うようになり、努力と失敗を何度も繰り返しながらどんどん学び、あらゆることを実現させてきた。だけど、やっぱり本来陸の世界に生きる物なので、無理をしたり何かのバランスっやタイミングが崩れると命を落としてしまう。これ以上は望んではいけませんよ、これは本来願ってはいけないことだったのですよ、という何かの声が聞こえる気がする。
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お姉さんたちが美しい髪と引き換えにくれたラストチャンスをも捨ててしまった人魚姫は、どんでん返しなどもないまま、海の泡となって消えてしまう。一応、風の精が登場して『人魚姫はぐんぐん空に上がっていきました』というような終わり方をするのだけれど、こども心にも「無理やりだなぁ」と感じたし、人魚姫の願いはそんなことではなかったので全く救われてはいないと思う。
最初は、こども用の絵本か何かで読んだと記憶している。キラキラして少し悲しそうな目と、長い金色の髪、貝でかわいらしく隠された胸と、魚のような艶々とした尾びれ・・そんなカラーのイラストがついていた。「健気で可憐で、儚い恋をしたかわいそうな人魚姫」そういうイメージを持たせるような文章とイラストだった。
あるとき小学校の図書室で、ほとんど生徒たちに手に取られていないコーナーに、図鑑のような大きくて分厚い童話集を見つけた。その中にも「人魚姫」の話が入っていた。堅苦しく翻訳された文章に、古そうな線画が挿絵として載っていた。少女というには大人びていて、ややふくよかで胸も隠さず、濡れたワカメのような髪を体に纏わりつかせ、遠くを見てはいるけれど憂いの目では決してない冷たい表情をした人魚姫がそこにいた。その人魚姫は、自分で決めたことへの後悔などは全くなさそうで「可憐」とか「かわいそう」とか、そういった雰囲気は持っていなかった。
とても衝撃的で、その日からわたしの中の人魚姫は、無力でやさしい少女っぽいイメージから、すごく強気で女くさいイメージに変わった。
あの挿絵、また見てみたい。
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