年賀状と誕生日のはなし
わたしはプロフィールでも書いているように変な家で育った。
お正月を祝うことも禁止されていたため、「年越し」もなければ「あけましておめでとうございます」という挨拶も禁止されていた。
「年賀状」を書いたことももらったこともなく、幼稚園・保育園に行かなかったわたしは小学校に入学してから初めてそういうものがあることを知った。
クラスのこどもたちが、冬休み前になるとお互いに「年賀状ちょうだいね!」とか「年賀状出すからね!」とか言いながら住所交換をしていて、それがすごく羨ましかった。数人の子が、わたしにも声をかけてくれたけれど、年賀状が届いては困るので何か変なことを言って断ったと思う。
おかげで、一人暮らしを始めてから数年間は年賀状に妙に執着してしまい、かなりの労力をかけて毎年年賀状制作をしていた。会社の人などからもらうとうれしくてたまらなかった。
もうひとつ、もう自分でもイヤなのだけれど、今でも執着してしまうのが『誕生日』だ。これは、同じ宗教2世の人々には分かってもらえると思うのだけれど・・。
誕生日を祝うということ自体、小学校に入るまで知らなかった。パーティー?バースデーケーキ?プレゼント??? みんなが毎年そんなことをしてもらっているなんて、しかも当たり前だなんて知らなかった。
「お誕生日おめでとう」と誰かに言ってもらえること、それは単純に自分が生まれてきたこと=存在価値を認めてもらえる、ということだ。笑顔で大好きな家族や友人に「お誕生日おめでとう」と言われたら、それはそれは幸せなことだろうと思う。何かが欲しいとか、大騒ぎしたいとかではなくて。
小学校だと”今月お誕生日のおともだち”をまとめて軽くお祝いするような時間があったが、それにも母を恐れる(神より)わたしは参加できなかったので、一人教室の隅に縮こまって座っていなければならず、とても恥ずかしかったし楽しそうなみんなが羨ましかった。
家族や友達と過ごすバースデーパーティーとはどんなものなのか心底憧れた。こんなに憧れているのに、それにはなんだか縁がないまま大人になっても時間は過ぎた。
親が祝ってくれないのは諦めた。わたしが悪いのだが、クズ男にばかりくっついていた(クズ男というのは大事ではない女の誕生日は覚えていない。ほかの女と遊んでいたりするので一緒に過ごしてはくれない。)ので「好きな人と幸せな誕生日を過ごしたい」は叶わなかった。クズ男と酒に溺れている間に、数少ない友人とも途切れていたので「大好きな友人たちと楽しいお誕生日を過ごしたい」も叶わなかった。 こういうまま中年になると非常にやっかいで、憧れの雰囲気はもう諦められても、接点の濃い人から「誕生日を忘れられる」などのことがあると自分でもおかしいと思うほどショックを受けたりしてしまう。
わたしは某新聞社が運営している掲示板をよく読む。ときどき中年のトピ主が「自分の誕生日に家族やパートナーが何も言ってくれなかったor祝ってくれなかった」系の悩みを書いている。大抵のコメントは「いい年して誕生日に執着とかダサッ!」というものだが、何か理由があって誕生日に人並以上の憧れがある人なのではないか、と毎回思う。 そんなの知るか!と言われそうだけど、そういう人にはひとこと「お誕生日おめでとう。あなたは生まれてきてよかったんですよ。」と言ってあげてほしい。

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